理解されない痛みを知っている私が、ヒロアカの“個性”から受け取った、違いとの向き合い方。
近年、メディアやSNSで「HSP」という言葉が取り上げられるようになり、
数年前に比べると、かなり一般的な言葉になってきました。
少し前に「繊細さん」という本がベストセラーになり、
そこから「HSP」という概念が一気に一般化していったように感じます。
ちなみに私はHSPです。
だからこそ、「HSP」という言葉や「繊細さん」という言葉がが広まって
“分かってもらえる瞬間”が増えたと感じる一方で、
自分が何者かを示す「ラベル」(例えば「HSPである」「母親である」「看護師である」自分を示す“名称”など)が増えることで、別の苦しさが生まれる場面もあると感じています。
※ここから書く内容は、私自身の経験と感じ方をもとにした話です。
HSPや、他のさまざまな属性・少数派に当てはまる方々をひとくくりに断定する意図はありません。
今回は、漫画の中の「言葉」そのものではなく、
『僕のヒーローアカデミア(ヒロアカ)』の世界観を題材に、
人との「違い」をどう見つめ、どう自分の自己肯定感を守っていくかを考えてみます。
このシリーズは“言葉”が中心ですが、
今回は「言葉の背景にある価値観」そのものを扱います。
【この記事で分かること】
HSPの私が「非HSP」にモヤっとした理由と、理解されない苦しさの体験をもとに、
ヒロアカの「個性」の世界観から自己肯定感を守る考え方を解説します。

【この記事を書いた人】
・看護師(臨床経験10年以上)/家族ケア専門士として活動
・国立大学非常勤講師(高齢者看護学実習指導教員)
・グリーフケア専門士取得
・カウンセラー
・集中治療室・救急外来から在宅医療・介護施設まで幅広い現場を経験。
・韮崎市からの依頼を受け、年間60件以上の介護認定調査を実施。
HSPとして“マイノリティ”を感じたあるある-小さな違いが積み重なるとき-
私自身、HSPとして「小さな違い」が積み重なって、しんどくなった経験があります。
たとえば、
相手が言った“内容”自体はとても小さなことだったとしても、
言い方や表情がずっと頭に残ってモヤモヤしてしまうことがよくあります。
それを勇気を出して相談すると、
「そんな小さなこと気にしなくていいんじゃない?」
と言われることってよくありませんか?
相手に悪気がないのは分かる。
でも、
その一言で
「私の感じ方は、ここでは歓迎されないんだ」
「私の考えは理解されないんだ」
と感じてしまう。
こんな積み重ねの先、
私は母から
「あなたのことが分からない」
と、突き放されたことがあります。
きっと母には母の想いがあったし、
私も私で、うまく説明ができなかった所もあったと思います。
どちらが悪い、という話ではないんです。
ただ、「分からない」と言われた瞬間に、
自分の存在ごと否定されたように感じた。
それが、とても苦しかった。
それでも今は、少しずつ言葉にできるようになってきた分だけ、
当時より自分を守れる瞬間が増えてきました。
「繊細さん」が広まった今、増えたのは理解だけじゃない
冒頭で紹介した「繊細さん」という本。
この本が流行っていた時によくSNSで見かけた光景の中に
HSPの方が、「繊細さん」という表現に
・とても違和感を覚える
・その呼び名にあまりいい気がしない
という意見がありました。
でも、私は
この「繊細さん」という表現・呼び名自体は
全然気になりませんでした。
きっと、違和感を感じていた方の中には
「繊細=弱い」
という否定的な意味合いを感じていた方が多かったと記憶しています。
私はこの「繊細」という言葉は
HSPの基本的な概念である「敏感さ」という意味を
単にイメージしやすくした言葉として捉えていたので
嫌なイメージを持たなかったのだと思います。
むしろ、SNSの中で使われていた
HSPではない人を「非HSP」「非繊細さん」という言葉。
頭に「非ず」という言葉をつける表現の方が嫌だなと感じていました。
HSPの基本的な特徴についてはこちらで詳しく説明しています👇

H2:「非HSP」にモヤっとする理由――特別視と線引きの空気
私はHSPを、
あくまでも「みんなが持っているものの延長線上のモノ・特徴」として捉えています。
例えば、
「平均身長よりも身長が高い人たち」という
一般的な特徴くらいにしか考えていません。
だからこそ、
“非ず(あらず)”という言葉がつくと、胸のどこかがザワザワするんだと思います。
これは、
「HSPが特別で、そうではない人は凡人」というニュアンス——
つまり、HSPを特別視する傲慢さのようなものを感じてしまうからです。
そして同時に、
人を「線で分けてしまう空気」も、そこに混ざっている気がするからです。
もちろん、そういうつもりで使っていない人が多いことも分かっています。
それでも私には、そう聞こえてしまう、そう感じてしまう瞬間があったということです。
私の中では、さきほど小さな悩みを相談した体験も、この違和感とどこかで繋がっています。
「気にしなくていい」という言葉が、優しさとして差し出されたものだと分かっていても、受け取った私は「こちら側は普通じゃないのかもしれない」と感じてしまった。
そうやって“線”が引かれたように思えてしまう瞬間が、少しずつ人心を孤立させていくことがあるのだと思います。
私はこの体験を通して、「非◯◯」という表現が持つ“線引き”は、気づかないうちに人の心を孤立させることがある、と思うようになりました。
「非◯◯」が生む“区別”と“差別”のにおい
でも、
これは「HSP」という言葉や概念だけに限ったことではありません。
この世界にある多数派(マジョリティ)、と少数派(マイノリティ)。
今の時代は、少数派(マイノリティ)が“特別な存在”として扱われ、善意であっても過剰に線引きされてしまう。
少数派の方たちは多くの「生きづらさ」を感じやすい環境にあるのは事実。
でも、特別なのは少数派の人だけではないと私は思うんです。
多数派も、少数派も、「どっちだから特別」ということはない。
そんな「区別」ではなく、「差別」に近いものが、この「非ず」をつけた表現に隠れているように私は感じます。
現実世界であれば
- 利き手(左利き)
- 血液型(AB型RH-)
- 人種
- LGBTQ
- 病気
など
人は、さまざまな特徴、特性、個性を持っています。
そして、悲しいことではありますが、
これらの特徴、特性、個性が少数派(マイノリティ)であった場合
少数派であることを理由に、多くの「差別」が存在します。
※この部分も、もちろん当事者の方々の感じ方や背景は一人ひとり違います。
ここでは「社会の構造として起こりやすい問題だと私が感じている」という、私個人の考え方であるという前提で読んでいただけたら嬉しいです。
『ヒロアカ』の世界観が優しい理由
-特殊能力を「個性」と呼ぶ-
ここで一つ紹介したい漫画があります。
「僕のヒーローアカデミア」(作者:堀越耕平先生|集英社)という漫画です。
通称ヒロアカ。
すごくいいセリフも多い漫画で、紹介したいセリフもたくさんあるんですが、今回は「言葉」ではなく、その世界観を紹介していきます。
このヒロアカ、漫画にはよくある「特殊能力」を持っている人たちが出てきます。
この物語の中の人間は、ある日を境に進化した末に開花した能力「個性」を発現し、今では全世界の80%の人間が「個性」を持っています。
「個性」には、
火を吐いたり、
身体が大きくなったり、
何かを浮かせたり——、
いろんな特別な力があります。
それを、あえて「個性」と呼んでいるんです。
性格や髪質、体質と同じように「個性」と表現している。
この言葉一つに、作者である堀越先生の優しさが込められていると私は感じました。
多数派と少数派が逆転したら、世界の見え方が変わる
ヒロアカの世界では、
この「個性」を持っているのは、人類の80%。
つまりは、多数派(マジョリティ)です。
人が持つ特徴を「個性」として捉えられる世界。
これがヒロアカが伝えてくれる「大きなテーマ」の1つなのではないかと私は考えています。
そんな優しい世界が広がってくれればと思い、ここで紹介をしました。
「多数派に合わせた世界」では、少数派が生きにくくなってしまう。
例えば、
ドアノブの向きや改札の向き。
これは、右利きの人の方が使いやすい形になっています。
左利きの人には、少し使いづらいものが多い世の中ですよね。
このように、世界は多かれ少なかれ、少数派の人が生きづらく作られてしまい、個人の努力ではどうにもならない部分があるんです。
だからこそ私は、ヒロアカのように「違いがあることを前提にする世界観」に触れるたび、心が少し救われるんです。
人が持つ特徴、特性、個性を「線引き」ではなく、「前提」としての違いと見てくれる。
これだけで、人を見下す必要も、見下される必要も減っていく気がするんです。
ヒーローとヴィランを分けるのは「個性」ではなく「使い方」
ヒロアカには、もう一つ設定があります。
この「個性」を世のため、人のために使った「ヒーロー」という職業があり。
この「個性」を自分のため、欲望のために使う「ヴィラン」という悪者(物語の中では犯罪者)がいます。
個性によって、
・ビームを出す
・炎を操る
・大きくなる
など、ヒーローっぽい個性もあれば、
・触れたものを壊す
・身体が泥でできている
・見た目が怪獣っぽくなる
など、ヴィランっぽい個性があります。
でも、この作品の中には
ヒーローっぽい個性をもったヴィランもいる。
ヴィランっぽい個性を持ったヒーローもいる。
「ヒーロー」か「ヴィラン」かを決めるのは「個性」ではなく、その「個性の使い方」。
自分の持っている「個性をどう使うか」
この考えが自分の人生を決める。
ヒロアカが教えてくれる人生のもう一つのテーマはここにあると私は思います。
自己肯定感を守るために、明日からできる3つの考え方
最後に、ここまでの話を日常で使える形にしてまとめます。
①「非◯◯」を自分の中で外してみる
誰かが使う言葉を止めるのは難しいです。
でも、自分の頭の中でだけは「非(あらず)」という言葉を使わないようにすることはできます。
たとえば
「HSP/非HSP」ではなく、「刺激に敏感な傾向がある/ない」くらいの温度に戻してみる。
それだけで上下の関係という空気が薄まります。
②「分類」より「配慮」を優先する
ラベルは“理解”の入口にはなるけれど
ゴールではない
大事なのは「あなたは何者か」を決めることより、
「どうしたら心地よく過ごせるか」を一緒に考えることだと思います。
③「個性をどう使うか?」で人生を選ぶ
個性や特性は、あなたの価値を決めるものではなく、選択肢を増やす素材です。
繊細さを「疲れやすさ」だけで終わらせず、
「丁寧さ」「誠実さ」「危険を察知する力」として味方にする使い方も、きっとあります。

まとめ
「繊細さん」という言葉が合う人もいれば、合わない人もいる。
その違い自体が、もう個性なんですよね。
そして私が一番伝えたかったのは、
あなたを決めるのはラベルではないということです。
ヒロアカの世界が示すように、ヒーローかヴィランかを決めるのは「個性」ではなく「使い方」。
同じように私たちの人生も、「特性」そのものより、どう扱い、どう選び、どう生きたいかで変わっていくのだと思います。
もし今、言葉や分類に疲れてしまっているなら、
いったん自分が貼ったラベルから距離を取る。
そのうえで
「私はどう在りたい?」と自分に質問してみてください。
あなたの“個性”は、あなたを縛るものではなく、あなたが自分を守るための道具にすることができるはずです。

このブログは、看護師(臨床経験10年以上)、家族ケア専門士が書いています
集中治療室・救急外来・内科・外科・整形外科・訪問看護・特別養護老人ホーム・デイサービスなど、幅広い医療・介護現場を経験
介護認定の認定調査員として、韮崎市からの依頼を受け、年間60件以上の要介護認定調査を行い、介護制度と在宅介護の現場にも精通
国立大学非常勤講師(高齢者看護学実習指導教員)
心理学・カウンセリングを15年以上学び、現在はカウンセラーとしても活動
【資格・実績】
・ 看護師
・家族ケア専門士
・DMAT隊員
・グリーフケア専門士
・認定調査員(年60件訪問)
・ハンドケアセラピスト
・アロマテラピー検定1級
・ヒューマンギルドにてアドラー心理学・カウンセラー養成講座修了
・ユマニチュード基礎講座修了
「医学的知識 × 心理学的支援 × リラクゼーション」を組み合わせて
介護をするご家族の身体と心を支えるための活動をしています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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